anezakimanのカマリヤ日記

横浜の外れから諸行無常の日々を綴ります。

春、爛漫

ひさびさの春の日々を引き続き楽しんでいる。桜が満開であり、日本中どこに行っても桜、サクラ、さくら。

近所の川沿いの遊歩道。

公園で愛犬と散歩中。

車で40分ほどの四季の森公園。

都心丸の内、お濠端。

この時期、東京駅前にはこんな人たちの姿も。いいですねえ〜

愛知県の某社敷地内。

竹林もお見事。

名古屋では麺類三昧を満喫。

山本屋総本家の味噌煮込みうどん。

味仙の台湾ラーメン、辛すぎてむせますね。。

伊那料理屋でいただいた絶品の辛み大根そば。

最後に交流。コーチ講習講座の先生と同期生とひさびさの再会。

新年度、新たなスタート。あちこちから元気をいただいて、走っていきます。

 

待望、ニッポンの春

もう3月も終わるというのに、天気が安定しない日が続いてきた。この時期の春にかけての日本の季節はなかなかダイナミック、諸行無常だ。温かいポカポカ陽気が続いて春近しと思っていると、気温5℃未満の肌寒い日々が戻ってくる。春一番の強風が吹いたかと思えば、冷たい暴風雨が傘も吹き飛ばす勢いで襲いかかってきて右往左往する。

さらにこの時期、ウイルスや細菌も活発だ。コロナもまだまだご健在に加えて、インフルだの花粉症だのと周りもゴホゴホぜいぜいの人が大勢いて、電車の中でのマスク率はざっと8割はいる感じだ。

アブダビでの健康的な生活で免疫力が最強になったと自負していた俺にとっても、久しぶりのこの季節の天候の不安定さとウイルス攻勢で、思いがけずにいろいろと発症している。2月中旬にコロナにかかった(アブダビ時代から数えて2回目)。その1ヶ月後、習さんの国から帰国して数日後に喉が痛くなり、咳も出始めた。新たなコロナウィルス感染かと思い、会社を休んでおとなしくしていたが、喉の腫れが引かずに、会社近くの耳鼻咽喉科で診てもらったところ、急性咽頭炎と診断された。

天候不順と体調混乱が続いたが、この週末は久しぶりに日中の気温20℃以上と暖かくなった。2日前には東京の桜の開花宣言が出たが、平年より5日、去年より15日それぞれ遅い開花とのこと。ようやく春到来と期待している。

そんな待望のニッポンの春を体感すべく、この土日は家の周辺の自然を歩きまわった。金沢動物園を中心とした公園エリアは山の森の中にあり、格好の散策ルートになっている。

ここの桜も開花、多くの人が春の陽気を楽しんでいる。

家族と一緒にこの周辺を散策。

そこから山深い尾根をつたって東に進むと桜並木で有名な大岡川の源流地域にたどり着く。

そこから氷取沢地区に下りていくと、横浜市の特区農園。あたり一面の色とりどりの野菜畑が春の香りを出している。

野菜即売所で採れたての筍と春菊を購入。筍はお味噌汁に、春菊はおひたしにして食す。旬の野菜の美味しさは格別。

まさに目の前で収穫したばかりの春菊。

こうして春の陽気、桜と自然、新鮮な野菜を思う存分満喫。心も体もリフレッシュして、明日からの新年度に向かうのであります。

「鎌倉殿の13人」、全編鑑賞

地元カマリヤ日記と銘打ちながら、日本各地や海外のことばかりだねえ(苦笑)。地元に近いネタとして、日本に帰ってからみたい番組があった。2022年のNHK大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」である。

ここ、カマリヤのある金沢区は、鎌倉市、逗子市、横須賀市と隣接しており、鎌倉幕府はもとより三浦義村和田義盛の本拠地にも近い。畠山重忠由来の禅寺は、家から歩いて15分のところにある。後述する本にも

横浜市金沢区は、鎌倉時代後期には、鎌倉の経済圏にあったといっていい。

とある。

アブダビにいた時から、日本に帰ったら三谷幸喜脚本のこの歴史ドラマを観たいと思ってきた。

週末落ち着き始めた1月中旬から、Amazon Prime Video経由で見始める。何しろ全48話。初回が57分、最終回が59分、あとは毎回43分の全部で35時間の長旅であった。週末のテレビ鑑賞は、月から土までの分を撮り溜めしたNHK朝ドラの「ブギウギ」(主演の趣里さんが水谷豊と伊藤蘭の娘さんだと途中で知って驚愕、何とも素晴らしい女優である)もあり忙しいのだ。結局全編観賞終えたのが2月末となった。

思っていた以上に面白く、鎌倉時代前後の荒々しくもダイナミックな時代ドラマに魅了された。主演の北条義時小栗旬)が純粋無垢な田舎武士から、権謀術数を駆使する策士に苦悩しながらも成長していく過程、激しい時代のイメージにぴったりの登場人物、血で血を争う殺伐とした歴史的事実ながら、時に三谷脚本のニヤッとする会話、こうしたハラハラドキドキ、時々ほっこりとした展開に、あっという間に全編走り抜けた印象である。

元々関心のあった鎌倉の時代と場所であり、以前読んだ司馬朗太郎さんの下記名作を今回のテレビ鑑賞と並行して再読した。

以下のような表現がドラマとも重曹的に重なり合い、この時代と場所の雰囲気が一層感じられたように思う。

鎌倉幕府がもしつくられてなければ、その後の日本史は、二流の歴史だったろう。農民ー武士という大いなる農民ーが、政権をつくった。律令制の土地制度という不条理なものから、その農地をひらいた者や、その子孫が、頼朝の政権によって農地の所有をたしかなものにした。

この人物(源頼朝)が、1180年に挙兵し、1185年、平家を西海に討ち沈めるまでの5年間ほど、東国全体の武者たちにとって華やかな時代はなかった。あるいは日本史そのものがー庶民が大量に舞台にあがったという点でー沸きたつような時代だったといえる。

鎌倉時代は、もともと頼朝と北条氏の合資会社で、頼朝の死後は、移るべくして移った。奇妙なことに、頼朝の血流が絶えてからのほうが、政権は安定した。

天下の実権は、北条執権ににぎられた。この一族は、およそ華美ではなく、質実で、農民の親玉のようだった。

とくに、義時、泰時、時頼が、日本政治史上の巨材だったといってよい。時頼の嫡子が時宗である。時宗は、武家政治の安定期に第八代執権の職についた。そのときに元寇(モンゴル襲来)があったのは、日本史の幸運の一つだったといっていい。

かれはこの難事に対処するために生まれてきたかのような人柄で、つねによき助言を聞き、聡明に判断し、いったん決めると、動かなかった。

この当時、北条一族から多くの逸材が出た。実時もその一人で、武芸にも長じ、また訴訟事務にも堪能だったが、なによりも好学の人で、金沢文庫を興し、後世を益した人物である。

これからはこうした歴史的背景、空間の雰囲気を味わいながら、カマリヤ周辺探索に本腰を入れたいものだ。

習さんの国へ

習さんの国へ行ってきた。この国に行くのは実に10年振りだ。ちょうど首都では年に一度の国会的イベントが実施されていて厳重警戒中だったらしいが、俺が行ったのは南の地域中心。中心都市から2-4時間の都市をいくつか回ってきた。

業務出張であるが、いつもの通り隙間時間を最大限活用してあちこちぶらつく。中心都市の中心地では、国会的イベントを祝って眩いライトアップ下、大勢の人が集まっていた。

休日の公園では地元の人々が集まって、歌や踊りの大集会。

この公園には、この著書で有名な国民文学的英雄の博物館もあり、見学する。

新幹線に4時間ほど乗って南方の都市へ。

車内はゆったりしていて超快適。

下車した地方の都市では水辺のホテルに宿泊。早朝散歩。

3℃ほどの冷気の中で、泳いでいる人も。

さて、この国といえば食事。お客様との晩餐ではこのお酒の一気飲みが健在でありました。。

豪華で貴重な郷土料理に舌鼓を打ちながらも、俺の癒しは多様なヌードル。

濃厚なサービスで有名な火鍋チェーン店では、しめのヌードルのパフォーマンスも。

この国の発展振りを多少は体感できた気がする。

長い歴史を持つ多元的な彼の国であり、下記本を買って道中読んだ。

複雑な同国史を、北と西に広がる大陸遊牧民族との闘争・交流という外部接点の影響、気候変動(寒冷化・温暖化)という地球レベルでのインパクトも入れながら、地域的・民族的・社会的多元的な歴史を俯瞰的に記述しており、大変ためになった。下記まとめが腑に落ちる。

日本は地域構造も社会構造も歴史的にみれば、非常に単一的均質的です。だから西洋近代に直面した際、国民国家の形成も容易でした。そういう日本人の感覚からみると、中国社会は想像を絶するほど複雑怪奇なのです。

そこで苦闘したあげくに目指した解が、近代を席巻したヨーロッパの近代国家やそれを見習った日本をモデルとする「国民国家」の形成です。そもそも国民国家は単一構造的な社会だからこそ生まれたシステムであり、多元的な中国社会ではそぐわないはずです。しかしグローバル化した社会を生き残るには、それしか方法はないと考えたわけです。ここに、今日も続く中国の混迷と苦悩の出発点があります。

あくまでも国民国家をつくって、西洋や日本に対抗するための取り組みが中国の「革命」であったわけです。ところがその「革命」・国民国家の形成というイデオロギーと、歴史的に多元性をきわめてきた現実の間には、容易に埋められない深いギャップがあります。だから、埋まるまで永遠に「革命」を続けなければならない。それが、今日の中国の姿でしょう。

いろいろと言われてるけど、確かに習さんも大変ですね。。俺も自戒を込めて下記メッセージを受け止めたい。

世界には日欧とは違う歴史があると知ることが、われわれ自身の歴史観を見つめなおし、既成概念を反省し、打破する機会になればいいと思っています。中国史を学ぶことは、その有効な命題なのです。

 

再び西の国へ

今月は国内、海外と毎週のように出張続き。再び西の国を仕事で訪れる。首都は雪がちらつく寒さ。

翌朝、ホテル近くの世界遺産の公園を訪れると、そこは白銀の世界。

この国は食も最高。南の港町の新鮮なシーフードの数々。

でも寒いこの季節には熱々のスープ料理が最高。豚肉のスープ。

鮑入りのサムゲタン(鶏肉ご飯詰めスープ)。

こうしたものを囲みながら、お客様との楽しい交流・歓談。

この西隣の国は、羽田から首都の空港まで2時間半ととても近いけど、やはり外国。同じ東アジアなれど、言葉も食も文化もちょっと違う。そして停戦しつつもいまだ戦争中。そのせいか、Google Mapの経路は公共交通機関しか出てこないし、北方の国境周辺地域にはタンクなどが普通に走っている。

一方でビジネスはこの二国間は補完関係にあり、俺もそのことがしっかりと再認識できた出張であった。お互いに頑張りましょう。

ニッポン各地巡り

ここ2週間ほど、出張中の隙あらば散策と私的旅行を合わせて日本各地を巡っている。早朝便で九州に飛ぶ。関門海峡がくっきり。

この海峡を関門海峡大橋を左手に見ながらボードでも渡る。

両岸の見どころ、本州側では下関。壇ノ浦で滅亡した平家を祀る神社。

日清戦争後の講和条約が締結された記念館。

九州側では小倉の歴史的な橋。

門司港のレトロ地区。

糸島市で、アブダビ自転車部時代の友人ご一家と久々かつ感動の再会。

関西編。こちらも平家滅亡に関連する神戸生田神社。

ここでもアブダビ時代の友人と再会して一献(というか3次会まで。。)。

関西の一大世界文化遺産

巨大な白亜の大天守に圧倒される。

最後はこちらも世界文化遺産に登録されている中部地方の一大観光地。この季節ならではの白銀の世界に釘付け。

改めてニッポンの自然・歴史・文化の素晴らしさ、ユニークさに感銘を受ける。そして各地の素朴な食文化も。

福岡の丸天うどん

糸島の鯛ラーメン定食。

姫路おでん。生姜醤油をかけて食べる。

そして飛騨高山の高山ラーメンに飛騨蕎麦。

こうしてニッポン各地を旅しています。仕事はしているのかしらねえ。。

西と南の国へ

ここ半月で久々にご近所のアジア2カ国を訪問した。西の国の首都ではこの時期、気温が零下10℃以下にまで下がることがあるが、幸い俺の滞在中はマイナス数℃で、寒くはあったが凌げた。

北との国境近くの町まで行って、街の食堂で素朴な生牡蠣と牡蠣のクッパをいただく。

一方南の国は朝は17℃、日中は25℃まで上がり、とても温暖だ。

早朝から街の散策に繰り出す。東アジアらしい風情にほっこり。

歴史的にも経済的にも大の親日国。日本のコンビニが数十メートル毎にある感じ。

駅の中にはこんな宣伝。大型連休前だったが、日本への航空便はすべて満席で行けないとのボヤキも聞かれた。

国の政治の中心地に行ってみると、楽団が演奏している。冬の早朝だけ1日1回やっているという。ほとんど誰も聞いていなかったけど。。

海岸沿いの公園。

こんな可愛らしいオブジェ発見。

飯は何を食べても美味しいが、俺の好物の麺も充実。ホテルの朝食には何種類ものヌードルが提供される。

この6年以上忘れていたアジア的な気安さ、親密さ、活気が感じられた旅であった。やはりアジアは良いですねえ。