anezakimanのカマリヤ日記

横浜の外れから諸行無常の日々を綴ります。

ニッポンの急速充電

伊集院静さんが亡くなった。俺は歴史物以外は小説はほとんど読まないが、氏の小説は折に触れて読んできた。初期の頃の『乳房』『受け月』。ご自身のルーツを語った自伝的3部作『海峡』『春雷』『岬へ』。伝説の雀士、阿佐田哲也との交流を書いた『いねむり先生』。明治期以降の際立った日本人を書いてきた『ノボさん』『琥珀の夢』『ミチクサ先生』など。そしてエッセイシリーズ『大人の流儀』。

田舎出の昭和30年代生まれの俺にとって、格好良く憧れの存在であった。ここにまた敬愛する大人が一人去ってゆく。享年73歳。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

さて、相変わらず懐かし・ひさびさのニッポンものの吸収・摂取(いわば充電)に忙しい。食事はカロリー過多が続いており、充電というかすでに漏電状態だ。。毎日せっせと歩いているにもかかわらず、足元ではついにアブダビ時代より体重2キロ超えに達した。

晩秋の自然がまばゆい。ここのところグッと冷え込んできて、散り際の紅葉がまた心に染み込む。お取引先の近くに日比谷公園があり、よく立ち寄る。今年設立120周年を迎えた。

夜も神秘的。

会社の社会貢献のボランティアのイベントで、代々木公園での枯れ枝拾いに参加した。こちらの公園はなんと設立150周年。

紅葉と雲のコントラスト、絵画の一シーンのような美しさ。

この日は祝日、晴天とあって、皆さん芝生でリラックス。

我々の枯れ枝拾いの仕事も順調に終了。これをチップに加工して使うとのこと(我々が拾って収集したのはこのほんの一部ですが)

お隣の明治神宮にも寄る。

この日は七五三や結婚式と大賑わい。

俺も本殿の大混雑の行列に参加して、本邦への帰朝を報告(大げさ・笑)。

最後にお風呂とサウナ。一時帰国のたびに近隣のスーパー銭湯に行って魅了されてきた。帰国後はほぼ2週間に一回のペースで通ってる。スーパー銭湯の大きくて様々な湯も楽しいけど、やっぱりサウナにハマる。

中山区の「竜泉寺の湯」。ここのサウナでは30分ごとに自動ローリュがあり癖になる。ただし少し遠いので、頻繁に行くのは「おふろの王様 港南台店」。寒くなってきて、外気と露天風呂の差が心地よく、さらにサウナに入って調う。サイコーですな。

ニッポンの食、自然、神々、そしてサウナと、ただいま急速充電中であります。

 

再会を喜ぶ

9月中旬に帰国して以来、日本で待っていてくれた田舎の親族や友人、アブダビ時代に知り合った多くの人たちと、再会を喜びあった。そうした人たちとの楽しかった一コマを記録しておきたい。

田舎に住む俺の83歳の母親、親族が温泉で帰国歓迎の宴を開いてくれた。こうして一堂に会するのは久々で、昔話に花が咲く。

高校時代の友人たち。教師メインの全員公務員だが、引退する人、継続して仕事をする人と様々。同世代であり、昔話に加えて今後の人生の進路についても意見交換。

アブダビ時代の3大交流のメンバー。まずはアブダビ自転車部。都心ビル屋上のBBQレストランで14名集結、飲み食いしながら楽しく語り合う。

アブダビ異業種交流会(別名肉交会)のメンバー。多彩なメンバーで話があっちこっちに飛ぶ、刺激的な会。

そして大学OB会のUAE支部メンバー。

最後に若手中心の強力メンバー。コーチング養成講座で一緒に学んだ同志8名。一次会後の集合写真、

さらに二次会にまで繰り出し、大騒ぎ。

アブダビ在住中に大変お世話になった皆さま、改めまして厚く厚く御礼申し上げます。このご縁をさらに深めたく、これからもよろしくお願いいたします。

オーテマチに興奮

11月も後半に入り、冷え込んできた。朝は7-8度まで下がり、日中も日によっては10度台前半だ。アブダビ帰国人には相当堪える。それでも毎日元気に会社出勤している。会社があるのは、千代田区大手町だ。

以前勤めていた会社も千代田区ではあったが、外れだった。千代田区大手町はまさに東京ビジネス街の中心地、いや、ニッポン株式会社のど真ん中と言って良いだろう。大手商社・マスコミの本社が建ち並び、周辺の丸の内、八重洲日本橋も入れたら3大銀行などの金融各社含む、ほとんどの大手企業が本社を構えている。

さらに地主である三菱地所が丸の内・大手町界隈を再開発中であり、今や高層ビルが林立しつつ、観光客も引き寄せる魅力的な一大エリアとなっている。日本一高い高層ビル、Torch Towerも最近起工式を実施し、2028年には385メートルの超高層ビルが建つ見込みだ。

俺も徒歩通勤がてら、あちこちブラブラしている。最近は有楽町駅前からお洒落な丸の内仲通りをまっすぐ歩くことが多い。

この通りは冬のイルミネーションで有名であり、ちょうど数日前にライトアップが始まった。気持ちが華やぐねえ。

堂々たる東京駅丸の内側。いつも海外からの観光客が荘厳な駅舎を前に写真を撮っている。

緑も多い。こちらはオーテモリと称するビルの間のちょっとした森林。千葉県で3年ほど自然生育させた木々をそのまま持ってきたとのこと。

そして何より俺を興奮させるのは、この界隈の通り、ビル地下街にあふれんばかりにある膨大なレストラン群。和洋中なんでも揃ってランチは約千円。同僚と毎日こうした場所でランチを取るのだが、一度行ったお店は二度と行かないとのルールを定め、毎昼あちこちウロウロしつつ、多種多様なお昼ご飯を楽しんでいる。

こんなことでと呆れるなかれ。何しろアブダビでは砂漠の中の事務所で周りに何も無かったのだ。お昼もお手製のシャビーな弁当が多かった。興奮して当たり前である。いつまでこの新鮮な気持ちが続くか分かんないけど、今のところはカタカナで書きたいくらい魅力的なオーテマチに出勤するのが楽しい毎日だ。

通勤天国中

海外での運転手付きの自動車通勤から、首都圏での混雑する電車通勤に変わった。横浜郊外の自宅から会社のある大手町まで、電車ルート的には金沢文庫駅から京急横浜駅乗換え、東海道線で東京駅が最短である。それでもドアツードアで片道1時間10分ほど掛かる。

本来なら通勤地獄と称するところかもしれないが、俺にとっては今のところは通勤天国である。もともと、日本ではなかなか運動できないので、なるべく歩こうと思っていて、いわゆる一駅前に降りての歩きを思いつく。一駅前と行っても東海道線のため、新橋駅であり、最短距離でも3キロほどある。最初は少し躊躇したが、10月中旬位から涼しくなってきたこともあり、歩き始めた。

最初は線路の真下、いわゆる高架下をなるべく直線で歩いてみた。昔から新橋や有楽町の高架下には飲み屋が軒を連ねていたが、今は真新しくオシャレなストリートが出来ていた。もちろん朝のため、営業はしていないが、美味しそうなお店を発見したりして、観察するだけで楽しい。

新橋駅から近い順にまずこちらの裏街道。

次にシックでオシャレな高架下街が続く。

有楽町に入るとこちらの横丁。朝なのにこのギンギラギン(お客は誰もいないけどね)。

最後も有楽町駅から東京国際フォーラム沿いに飲み屋がびっしり。朝から気分が盛り上がること必至(苦笑)。帰宅時は宴会が多いので、この辺りはまだ歩けてないけど、発見した興味深いお店(例えば焼き貝専門店など)には行ってみたいと思わせる。

このラインを直行コースとすると、他のオプションとして新橋駅から右に行くと銀座方面であり、豪華絢爛な銀座通りを歩いてもよし、

あるいは左の内幸町方向に進んで、日比谷公園、お濠端の自然コースもある。

気分によって、時間によってコースは変えるけど、ほとんど毎朝こうした徒歩通勤をエンジョイしている。その分、30分ほど早く家を出ることになるけど、全く苦にならない。

出勤前の犬の散歩と通勤歩きで毎日1.5万歩ほど歩けてるので、アブダビ時代と違って連日の高カロリー食事(朝からご飯とフルおかず、昼はビジネス街のサラリーマンランチ、夜は宴席)にもかかわらず、今のところ体重増は1キロほどで収まっている。何より爽快な気分で出勤できるのが一番ですな。

再始動

アラブ首長国連邦の首都アブダビから帰国して2ヶ月、新しい職場に出勤し始めてから1ヶ月経った。海外の多国籍企業に単身赴任で丸6年いて、久々の日本の生活である。まだまだ前後左右全方位でウロウロキョロキョロ状態であるが、毎日が刺激的で楽しい。

これからこうした日々を、変化と刺激に富んだ日々を自ら望んでいることも含めて、諸行無常(あらゆることが変化、常なることはない)というお釈迦様の教えを改めて肝に銘じて記していく。

表題のカマリヤとは、俺の現在の居住地辺りである。横浜市最南端の区であり、鎌倉や横須賀と隣接している。金沢北条氏の拠点として鎌倉幕府時代の中心エリアであり、13世紀に北条実時が創設した中世武家文庫として有名な金沢文庫の地でもある。

漢字で釜利谷と書く。その由来は一説によれば、源頼朝鎌倉幕府を開き武家政治が始まると、鎌倉は各地からの武士やその一族などで溢れ、武具や農具の鉄製品の需要が急増し、鍛治職たちは鎌倉近くに良質の水の湧く土地を求めてこの辺りに移り住んだという。釜(鉄具)に利する谷ということ。

俺の仕事も鉄の製品に係わることであり、因縁を感じる。何より自然と緑に囲まれ、上述の通り歴史と文化の香りに溢れるこの地が、俺自身大好きである。新潟出身の俺が、色々なご縁があってこの地に移り住んで18年。終の住処となるであろう、この地から、諸行無常のワクワクする日々を綴っていきたい。